衛生組合

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 衛生思想の普及向上もはかられ『衛生雑誌』(明治二十年一月第十四号現存)が岡部譲会長の遠江私立衛生会(浜松利町)より、また『通俗衛生月報』(明治二十五年六月第九号現存)が浜松紺屋町の同名の社より刊行されている。【大掃除】二十九年には浜松でも春秋二回の大掃除が施行され、三十一年五月、県令二十一号によりようやく浜松に於ても衛生組合が設立された。衛生組合は全町民を組合員として、その規則を守る義務を負わせ、衛生思想の向上と衛生的環境の実現に努力、実践活動として大正時代になると水質試験・夏季における石油乳剤の撒布・路面掃除その他衛生思想普及のための宣伝活動などを行なっている。組合長は初代太田用成、大正時代に入ってからは市長が組合長に、副には助役や渥美市平などの薬剤師が就任した。
 明治三十三年にはいると汚物掃除法によって浜松町では七月汚物掃除規則を定めた。