女子高等技芸学校 淑徳女学校

305 ~ 305 / 729ページ
 【岡本欣 三十九年】私立女子高等技芸学校は岡本欣(きん)(昭和四年二月没、五十三歳)を校長とする岡本巌(昭和十七年六月没、七十六歳)夫婦によって加藤千之助を設立者として明治三十九年六月に設立された。【浜松女塾】明治二十五年三月岡本欣によって開かれた裁縫及び手芸を授ける「浜松女塾」がその前身であった。その目的は和洋服裁縫や諸種の手芸を習熟させ教科をも授くることにあった。本科(三年)・速成科(一年)を主体とし高等小学校卒業者を入学させ、それ以外に高等科・専攻科(いずれも女学校卒業者を収容)があった。最初教員八名、生徒二十五名であったという。【平田の女学校】校舎が浜松町大字平田(なめだ)(東海道本線西側)にあったので「平田の女学校」ともいわれた。【大正八年】明治四十四年四月高等女学校令の改正により実科高等女学校となり、大正八年浜松淑徳(しゅくとく)女学校(入学資格本科尋卒、大正十四年本科四年制高等科併置、学級数四、生徒数二六四)と改称され、昭和二十四年三月閉校となった。

女子高等技芸学校(平田町)