西遠高等女学校 西遠女子学園

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 【大正九年】西遠高等女学校は、このような岡本夫婦の教育実績を基盤とし、高等女学校令により大正九年三月浜松市大字平田に創設された。岡本巌が校長であった。【佐藤一色】十二年大字佐藤一色に移った。敷地五千坪、建物七百一坪、袖師の森とうたわれた蒲神明宮の森を背景に「夕空に咲く月見ぐさ、風にさゆらぐ窓の辺に、浄く愛しめくろ髪を」の校歌にふさわしい自然にめぐまれた校舎であった。制服を洋服に改めたのもこの時代であった(セーラー服は昭和七年)。戦禍をまぬがれ中学校を併置(同二十二年)、新制高校となり、二十五年学校法人静岡県西遠女子学園となって今日にいたっている。
 二代校長は岡本富郎(昭和七年就任、昭和四十九年退任)。生徒定員も大正十五年八百名、昭和十五年には千名、市立浜松高等女学校が浜松の子女が多いのに比し、浜松周辺の農村出身の生徒が比較的多かった(『西遠女子学園創立七十周年記念』)。