岡部政美(次郎左衛門、明治三十四年三月没、七十九歳)は賀茂真淵の流れを吸む伊場村岡部四家のうちの次郎兵衛家の生まれ、同村賀茂神社の神官。金原清宗について国学、有賀豊秋に和歌を学び(万延二年、家に月次歌会を開き慶応三年に及んだ。浜松地方の勤王論はこのとき胚胎したという)、明治五年三月浜松県より神社取締役を命ぜられ、八月浜松五社神社、それより小国神社・砥鹿(とが)神社をへて二十三年より三十一年まで秋葉神社の祠官を勤めている。次郎兵衛家の再興につとめ、その子譲(ゆずる)の人となりもその家庭教育の力によることが多かったという。