目次
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第三章 町制の施行と浜松町の発展
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第六節 向上する文化
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第一項 教養と娯楽
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漢学
足立双松 賀古鶴所
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東郊の子戈二は、父の家足立家をつぎ東庭と号した。その子良斎(のちに衛と改名、明治三十八年十二月没、七十九歳)は双松と号し、浜松新町父の業をついで蘭法医として知られた。司馬遠湖門である。幕府瓦解のとき浜松藩主井上氏にしたがって東京に移り、のち陸軍軍医になった。少年時代浜松にあって良斎の指導を受けたものに法学博士岡村輝彦・医学博士賀古鶴所・医学博士飯島魁などがある(内田旭「浜松の藩学」『郷友』第一号)。