絵画については『浜松市史二』で述べたが、そのほかに堀江鷗洲(縫三郎、舞阪)・伊藤梅吉・亀一山、入野村の中村湖南、新津村米津の椿山門松本春山、内野の横田華外、竜池村の市川孤芳とその子芳逸、田中梅崖(音次郎、初代浜松郵便局長)・鞍智雀崋(開明堂)・宮本甚七、岩水寺の月下・月査、山崎安寧寺の釈翠村などがあり、金原明善夫人の霞汀(玉城(たまき)、明治三十七年没、六十七歳)も画をよくしたという。甚七は少壮時代より京都の竹内栖鳳と親交があり、栖鳳は明治三十四年ごろ浜松松城の甚七の宅に半年近く滞在していたという。