珠算 実用的のものとして急速にひろまったものに珠算があった。末木千代吉(堀梅吉門人、明治十六年現在の山梨県東八代郡八代町生、昭和三十五年没、七十八歳)が田町玄忠寺に明治三十五年(一月~八月)から「百日速算研究会」(会員一七三名)を開講したのがはじまりで、その門弟の本間竹之助(明治二十三年三月浜松大字田生、大正十四年十一月没、三十六歳)は浜松速算学会を開き、浜松商業学校の珠算講師も勤めた。速算学会はその門弟加茂太市(明治二十六年七月浜松伝馬町生、昭和十七年十月没、五十歳)からその子へとうけつがれている。また本間の門弟に尾崎博泰(明治三十年三月浜松大字大工生、昭和二十二年八月没、五十一歳)があり、これもその子の代となっている。この加茂及び尾崎の二流が浜松珠算界の主流となり、大正から昭和にかけて速算大会のような競技会も開かれて最盛期を迎えるにいたった(名倉敏克「浜松における珠算塾の歴史とその指導者」『遠江三号』)。