【相佐新次郎】『浜松新聞』は明治二十八年に、浜松の有力者を発起人として相佐新次郎(修、敷知郡瓜内村生、鍛冶町、大正十五年十二月没、六十三歳)の経営になる浜松堂より発刊された最初の日刊新聞である。浜松新聞の紙名は明治九年すでにあり(前述、第二章第四節第七項)、これを襲名したものであった。三十二年一月第三種郵便物の認可を受け、資本金四千円。【松浦孤山】その後、発行所が浜松新聞社、浜松印刷株式会社(明治三十六年)となり、大正十五年には社長佐藤章次、取締役兼支配人松浦孤山で、静岡・沼津・清水・中泉(現磐田市)に支局があった。再び浜松新聞社(昭和二年四月)と変わり、位置も田町南新道などへ移ったりして、しばしば変動があったが、昭和七年まで発刊をしている(昭和十六年二月一日静岡新聞に合併された)。