月刊雑誌では明治十六年『魁(さきがけ)新誌』(社主平野宇平治、編集小野仲一郎)が浜松下垂の魁新誌社から一部十二ページ四銭で、月三回(「九月第二号」現存)発刊され、二十四年には『進歩』(編集有玉村村瀬市五郎)が日進館から「館友の学問農工商に関する知識を交換増進」の目的をもって、月刊一部三銭五厘で刊行されている。二十五年には仏教教育衛生思想普及の主旨で『浜松活天地』(編集徳山得中)が月刊四十ページ一部三銭五厘で田町玄忠寺から発刊(「明治二十五年四月第四号~同二十六年十月第十七号」現存)され、これには鳥居法城・猪俣全獅・山田国太郎・大賀辰太郎・岡田金正などが関係している。また衛生思想普及のため『衛生雑誌』『通俗衛生月報』が発行された(前述、第四節第六項)。