福紗人形

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 浜名湖畔白洲(しらす)村(当市白洲町)には、同村の西野米作(昭和三年没)の考案になる福紗(ふくさ)人形と称した人形芝居があった。米作は紺屋職を業とし、絵も巧みで、人形も舞台も背景もみな自分の手造りであった。使い手は左手の拇指と人指し指で人形の頭を使い、右手で人形の右手を動かす。そのとき人形の右手の中指と薬指とが竹仕掛で動く仕掛になっているので、使い方からいえば三人使いの右手の使い方と全く同じで、そこに米作の工夫があった。出し物は義太夫もので、「狐火」「安珍清姫」を得意とした。米作は芸名を豊秋太夫といい、自らも語り、米山一座と称して村民七、八人を語らい近在を興行したという。米作の死後は子の亀太郎がついだが、その後はあとを継ぐものがなく自然解散となった(飯尾哲爾「浜名湖畔農民芸術白洲福紗人形に就て」『静岡県郷土研究第二輯』)。

福紗人形

 浜松新町にも町民の玉清(中村清三郎ともいう、昭和二十年没、九十七歳)を座長とする人形芝居があったという(菅沼才平『新町育ちの思出』)。