角見山

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 力士には幕末に青屋村(当市青谷町)出身の袖ヶ浦宇平があり、明治には角見山(本名杉浦誠平、飯田村生、明治二十九年十一月没、五十五歳。『飯田村史』)があった。身長五尺九寸、体重三十二貫。江戸へ出て慶応元年幕内力士となったが、故郷飯田村(当市飯田町)へ帰り青年力士を養成し、駿遠三を巡行した。
 なお、明治四十二年ころ「白羽の綱さん」という奇人があって、神楽(かぐら)の面をかぶって悪魔払い家門繁昌をいのって踊りあるいて子供をよろこばせ、浜松の名物として知られた(会田文彬『浜松風土記』、菅沼才平『新町育ちの思出』)。