目次
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第三章 町制の施行と浜松町の発展
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第六節 向上する文化
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第四項 明治後期の宗教
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新生の寺院と神社
猪俣全獅 松山舜応
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猪俣全獅(天保十一年越後国生、大正十年一月没、八十二歳、浄土寺に隠居)は普済寺住職として再度来山しその再建に力を尽し、松山舜応(文政八年尾張国生、明治四十年三月没、八十三歳)は富塚村法林寺住職より方広寺住職となり、明治二十二年乞われて南禅寺派の管長および同寺の住職となった。ともに名僧として知られた。