伝馬町の講義所 伝馬町の教会堂

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 続いてメソジスト派の布教がはじまった。これは十六年にこれも元静岡藩士で三方原へ入植した大川義房(のち浜松城内六四番地)・大野充賢とその妻セキが静岡教会牧師山中笑より受洗した。大川は最初連尺町宿屋松浦屋に仮講義所を設けたが、伝馬町(宿屋大米屋の隣という)に移り、翌十七年六月伝導師結城無二三を静岡より招き伝導を行なった。激しい迫害を受けながらの伝導は地元から同情され、大成功であったという(「旧幕新撰組の結城無二三」『中央文庫』)。かくしてイビー及びダンロップ(浜松尋常高等小学校で英語教師をしたという)・カスキデーの活躍となった。『絵入東海新聞』によると、二十一年三月十九日イビーとカスキデーの演説があり翌二十日には受洗者九名があり同夜の演説も前夜同様盛会であったという。【二十二年】こうして、カスキデーの尽力によって浜松伝馬町に教会堂の設立をみたのは明治二十二年であった。繁華街にあったこの教会堂は各種の講演会場にしばしば利用された。

教会堂