市制施行

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 市制の施行は、かねてから市民の待望するところであったが、明治四十三年には人口三万五千を越え市制施行の条件が整うと、同年十二月町会はその実施を決議し、町長鶴見信平よりその旨を本県知事に稟請(りんせい)した。【四十四年七月一日】その結果、翌四十四年六月に内務省告示第四十六号をもって「明治二十一年法律第一号市制第百二十六条ニ依リ静岡県浜名郡浜松町ヲ市制施行地ニ指定シ明治四十四年七月一日ヨリ市制ヲ施行ス」る旨告示があった。
 
【人口三万六千余】市制当時の面積八・六六平方キロメートル、人口三万六千七百八十二人、戸数六千九百四十戸、大字四十(大字名を廃し、これを町名に変更するのは大正十四年五月一日。後述、本節第二項「地籍整理と新生の町々」)で前町長鶴見信平は市長事務取扱に任命された。【市役所】市役所は従来の町役場(浜松町紺屋九二番地)をもってこれに充て、町吏員は市吏員に採用して、市行政機関の運用を開始した。

鶴見信平

年次浜松静岡
人口人口
明治2213,63037,68136
〃4436,78258,20463
大正963,26273,89385
昭和16176,088219,21280
〃24143,481233,38161
〃49469,982443,177106
〃52482,439452,965106

(12月末統計による)
 
 施行第一日の七月一日には、五社公園に仮設祭壇を設け、市制施行奉告祭が神式をもって午前十時より来賓多数出席のもとに行なわれ、出席市民及び学校生徒の礼拝につづく浜松市万歳三唱をもって式が終った。当日はあいにくの雨天であったが、午前六時の慶祝花火に市中揃って国旗を掲揚し、午前九時に各工場は一斉に汽笛を鳴らして、祝意を表したのであった(『静岡民友新聞』『名古屋新聞』)。【市制記念日 市章】なおこのとき以来浜松では毎年七月一日を市制記念日とするとともに、浜松が波濤逆巻く遠州灘に臨み、古来松の景勝でたたえられたことから、波で松を囲んだ市章も定められた。なお市歌の制定はすこし後れて大正十年であった(後述、本節第二項「都市問題の激化と市政」)。

市制祝賀の新聞記事


最初の浜松市役所(紺屋町当時)