第四回選挙は大正十一年九月四日。市制町村制改正によって議員は定員三十六名。一、二級のみで三級は廃止という新選挙制度によって実施された。【二級議員】このとき政友会派議員は自派の減少をおそれ、非政友派の猛反対を押しきって「浜松市会議員二級選挙区条例」を可決し、二級議員は市内を六分画した各々の小選挙区から選出することと定めた。そのため浜松はじまって以来の烈しい選挙戦となった。【小選挙区制】小選挙区は左のとおりで、第一区 定員四名(田・池・下垂・神明・連尺・紺屋・利・栄・大工・伝馬・肴・鍛冶・後道・平田・旅籠・常盤) 第二区 定員三名(浅田・海老塚・龍禅寺・寺島・浜松八幡地・浜松寺島) 第三区 定員三名(成子・元魚・塩・伊場・東鴨江・菅原) 第四区 定員三名(元城・上池川・下池川・浜松沢・松城・三組・和地山・両追分・名残・元名残・高) 第五区 定員二名(旧天神町村全部) 第六区 定員三名(船越一色・新・板屋・八幡地・馬込・早馬・中沢・野口・八幡)
その結果、政友会派二十名、非政友会派十六名。議長は沢田寧であった。