社会事業 遊廓移転

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 さきに述べた社会事業もようやく緒につき、職業紹介所・無料宿泊所・公衆食堂・公設市場・市営住宅・市立託児所と、諸施設の実現に着手したが、議会の両派の争いとなった問題に遊廓移転があった。浜松宿以来の花街伝馬・旅籠両町は依然として市の中心街に存在し、市の体面上からもその移転は大正八年ごろから問題化。鴨江・元浜・浅田の三町がその有力な候補地にあげられていた。駅南の浅田は交通不便という理由でまず除外されたが、鴨江町がその誘致を非政友会系(民政党)に依頼するに及んで、元浜町は政友会派に支持を訴願し、はしなくも両町の争いとなった。そこで翌九年県知事の斡旋となり遊廓招致委員会を設けて協議の結果、最初より誘致に熱心であった鴨江町に決定をみた。市民の中には鴨江町が鴨江病院を三年前に同町内に誘致したのは遊廓移転問題を予知した鴨江選出市議の策動であった、と批評する者もあったという。【二葉遊郭】新遊廓二十二軒の移転開業は大正十一年十一月三日で「二葉遊廓」と呼ばれ、昭和三十三年(公娼制度廃止)まで存続した。なお遊廓の誘致成功により鴨江町方面は急速に市街化が進んだ。

二葉遊廓正門