大正十三年憲政会の総裁加藤高明が内閣を組織すると、その影響を受け浜松では田町出身の議員五名が准憲政派として非政友派に転じた。そのため政友会派は第二党となり、市会には非政友会派時代が到来と世評が高かったのに、こんどは同派内の憲政会首領井上剛一と革新派首領高柳覚太郎との意見があわず、大正十五年二月の通常市会における沢田議長辞職問題を契機として、高柳覚太郎は同志とともに中正会を組織し多年の政敵である政友会派と手を握るにいたった。議長も小竹禄之助(高町、昭和二十一年二月没、八十五歳)へ移った。
非政友会派内紛