このような動きのなかに迎えたのが第五回目の大正十五年九月三日の市議員の総改選であった。これは全国に先がけての普通選挙法(普選)による始めての選挙であったので、保守の地盤といわれてきた浜松で、無産政党や労働組合から初出馬する革新系候補がいかに戦うか、また普選の下での選挙運動方法はいかがあるべきかということが全国の注目の的となり、関係官庁や各都市からの視察が相継いだ。ことに各政党本部の力の入れかたは衆議院議員の総選挙のとき以上であった。
有権者も千九百人から一万六千人余に増したが、立候補者も議員定数三十六名に対し五十六名(政友会派二二名、憲政会一三名、中正会九名、労働者一名を含めて無所属一二名)が名乗りをあげて浜松市議選始まって以来の激戦となった。