「輸入市長」といわれた渡辺素夫はさきに大正十三年八月任期が終ると再び迎えられて再任(第五代)し、都市計画の実施・道路の拡幅(広小路、鍛冶町通り、昭和四年完成)・上水道の敷設・地籍整理を手がけて治績をあげたが、その反面市財政は膨張をきたし、市会や総代会の一部から放漫財政等の批判がようやくあがるようになった。そして昭和三年(十一月)改選の際には市会の推薦が得られず、地元出身の中村陸平に市長の座を明け渡し、二期にわたった渡辺市政は終りを告げた(晩年は三方原村長を勤めた)。そしてこれは大正時代の市政の終りでもあった。【職員徽章】ちなみに市が職員徽章(きしょう)の佩用(はいよう)を定めたのは昭和二年七月一日であった。