浜松の発展にともない市街地が急激に膨張拡大してくると、隣接町村との行政的な境界線は意味をもたなくなり、町村合併の声があがるようになった。市は大正九年市域拡張調査委員会を設置し、これに備うるところがあったが具体的には町村合併が実施をみたのは大正期(三回)から昭和前期(二回)にかけて、合わせて五回の実施となった(次頁表参照)。
こうして市は隣接する浜名郡の富塚村・天神町村・曳馬町・白脇村・蒲村の五町村を市へ編入し、昭和十四年十二月戸数三万二千三百四十一、面積四十七・三平方キロメートル、人口十七万八千九百二十七人であった。