富塚村は明治二十二年四月一日町村制施行によって富塚(富塚村・小薮村の二か村が合併して成立)・和合(馬生村・馬船村・寸田ヶ谷村・富新屋村・不遣村の五か村が合併して成立)・和地山(村名を公称としたのは明治以後)・両追分(西追分村・東追分村の二か村が合併して成立)・浜松沢(沢村と称した)の五か村を大字として自治村となった。四十一年十二月二十八日浜名郡吉野村大字段子川を編入したが、大正元年十月一日大字の両追分(地積三三町歩、戸数一二二、人口六一〇)・浜松沢(地積五五町歩、戸数七五、人口三七五)・和地山及び和合の一部分(地積一八四町歩、戸数三五、人口一七五)が浜松市へ編入され、昭和十一年二月十一日には残る全村もまた浜松市へ編入されて富塚村の名称はなくなった。