ここに於て、自治会は鈴木幸作を、戊辰会は津倉亀作を互いに推薦して譲らず、また別に中村陸平(明治七年八月生、天神町住、酒造業、昭和十一年六月没、六十三歳)とか高柳覚太郎の出馬を要請しようとする動きも現われて解決のめどがつかなかったが、折衝の末両派も折れてようやく全会一致で中村推薦ということに決定した。ときに八月十一日ですでに渡辺市長の任期満了の日は過ぎていた。しかし中村陸平はこれを固辞したので、輸入市長も止むなしということになり、自治会は永田亀作(前神戸市助役)を、戊辰会は坂本藤八(静岡県商工課長)を推し、再び両者の対立となった。こうなると市民からも市会を非難する声がようやく高くなり、両者話し合いで解決しようとの妥協案が成立したが、さて二十日の全員協議会になると、戊辰会は決議投票を固執し自治会派も白紙還元を主張して話し合いがつかず、ついに決裂となった。事態を静観していた県当局は十月二十三日にいたり、もし市会が天皇即位式の十一月十日までに後任市長を決定することができなければ市に対し職務管掌をせざるを得ない、という通達を発するに至った。その重大さに驚いた市会は翌二十四日に急遽全員協議会を開催し、全会一致して中村陸平の推薦を決議し、市長問題は急転直下解決することになった。【中村陸平】中村陸平も市会の全会一致の推薦ならばとこれを受諾し、渡辺市長辞任後四か月余に亘る後任市長問題も解決をみたのであった。昭和三年十一月五日で即位式の直前であった。
中村陸平