総代会は、大正七年八月に廃止となった区長制のあとを受け各町ごとに置いた総代(市政の補助的機関)より成る連合会であった。【会長派 反会長派】内紛の原因は、昭和三年九月総代会の藤見会長が各町の総代に呼びかけ保険同盟会を組織し同会の宣伝をしたのを、会長の越権行為であるとして鴨江・高・名残・元城・尾張町などの総代が反対したことに端を発した。そして声明書を「市総代会は条例で規定された旧区長制と異なり慣行的に町の自治を任せられたのみで何の権限も任務も定員もあるわけでなく、年に二回ほどの会合に出席し公費の無駄遣いをするばかりで全く存在の意味がない。大正末期に電灯の燭光問題で市会に交渉したことがあったがそれも竜頭蛇尾で終り、その後の公会堂敷地問題でも単に異議をさしはさんだだけで徒らに着工の遷延を招いたのみ、さらに上水道敷設問題では工事の延期を主張して市会側の即行論と衝突したばかりで公費の濫費と煩雑な折衝を繰り返したに過ぎず、結局なんら得るところはなかった。そこへ今回の保険勧誘事件である。会が一部役員のためにばかり存在するものならば、黙止するわけにはいかない。」と発表、脱退を申し合わせた。これに賛するもの総代会加入の六十六か町のうち、前述の五か町以外に西伊場・追分・和地山・上池川・下池川・成子(なるこ)・平田(なめだ)・山下・松城・元目(げんもく)・紺屋(こんや)・海老塚(えびつか)・旭(あさひ)・肴(さかな)・塩・東伊場・森田・菅原・元浜の十九か町に及んだ。これに対し会長派は「総代会の成立は、竹山市長時代の区長制から発足したものでこれには深い意味はない。総代会の会費は一名年額五円で全部集めても三百三十円のみで、市よりの寄付も若干あるがそれも僅かであり、年二回会合で公費の無駄遣いとは心外である。会の支出は総代会の決議で行なわれ幹部のみの独断処置は絶対にない。また電灯問題・公会堂敷地問題・上水道設置の反対運動は潜越との非難であるが、これは結果論に過ぎない。現にそのさいに急先鋒であった者も脱会派にいるではないか。さらに保険同盟会は会長の個人計画で、利益があった場合は総代会へ提供の筈でもあった。それに同盟会は今は解散しているし非難の対象にはならない。また二十四か町の総代全員が脱退に賛成していないではないか。」と反駁、すべてを昭和四年三月の春季総会において決着する態度をとった。【市長調停】市はこれを傍観していたが、新任の中村市長は放置すべき問題ではないとしてこれの調停にのり出し、自ら両者の間に入って奔走し、その結果、脱会派も市長の好意を諒としてこれまでの行きがかりを棄て市長に白紙委任を申し出たので、市長は役員改選の要を会長派に説き、会長派もこれを諒承し、六か月間にわたった内紛も解決の運びとなった。