第六回 昭和最初の市議選

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 中村市政のつぎに当面したのは、不況克服を標榜にした五年の市議会議員の改選であった。これは昭和最初の市会議員の選挙(市制第六回目、昭和第一回目)で普選第二回目の市議選でもあり、五年九月三日行なわれた。定員三十六名に対し六十五名が立候補し有権者一万七千九百三十七名の票を分けあう激戦であった。投票数一万六千六百八票で棄権率七分四厘、当選の最高得票五百三十三票で最低得票は二百三十一票、年齢の最高は六十七歳の石田秀作(元治元年六月生、佐藤町住、昭和十五年六月没、七十七歳)、最低は三十一歳の大林稔(明治三十三年三月生、鴨江町住、昭和五十三年一月没、七十九歳)で平均四十六歳であった。政友会十八名、民政会十五名・社会民衆党一名、中立二名。長い間市政に顔馴じみであった井上剛一(民政会)・高柳覚太郎(政友会系木堂会)の落選は「浜松の大なる損失」(九月五日『浜松新聞』)といわれた。また再選者がわずか十名のみであったのも新しい時代の到来を思わせた。【政友倶楽部 昭和会 清交会】市政は政党政派を超越して理想的な自治制が望ましいということで、政友会は政友倶楽部(木堂会系、佐藤章次・久野茂・湯浅輝夫・木村金秋・内藤惣一等)と昭和会(鈴木幸作・石岡孝平・大塚章司等)とを組織し、民政会は清交会(岩崎豊・津倉亀作・大林稔等)を結び、その他社会民衆党一名(貴志徹)、無所属二名の分野となった。当選した山下治助の住居に原因する公民権問題もすぐに解決はしたが普選下らしい事件であった。