天皇行幸 全国産業博

361 ~ 361 / 729ページ
 中村市政の四年間には昭和三年の高射砲第一聯隊の浜松移駐(後述、本節第三項)・鍛冶町通り等の道路拡幅(記念のプラタナス植樹の一本は戦火にも焼けず「市民の木」として新川端に残っている)・浜松市商品陳列所の開設(前述、第三章第三節第二項)、つづいて六年には上水道が竣工(前述)した。そして五年五月末には浜松市として未曾有の盛典の行幸があった(後述、本章第六節第一項)。浜松市はこれを記念して、全国産業博覧会の開催を市制二十周年祝賀の意を含めて計画することになった。不況の際ではあり市民の一部からも「浜松程度の中都市が時節がらこのような大事業を開くのはどうか」と危ぶむ声もあったが、中村市長は「それなればこそ景気を刺激し、市政に活を入れる意味でも実施したい」と市議会へ提案し、議会もこれを歓迎し進んで議決した。ときに同年十月三十日であった。経費三万三千七百円、翌六年三月十五日から五月八日まで五十五日にわたり開催計画であった。その後、県からの許可も下り県費補助も二万円交付と決まり、政府からも国産奨励振興という趣旨で補助金の交付を受けることとなり、万事が計画通り進み実施の運びとなったのであった(後述、本章第六節第一項)。