後任市長問題 七代市長 第七回 市議選

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 後任市長の選考については政友倶楽部・昭和会・清交会の三者の意見が合致せず、ついに選考委員の辞職とまでなって一か月余を経過したが、十二月に入ると市民からもようやく批判の声がおこり、新しい選考委員会をもって事態を収拾することになった。【高柳覚太郎】しかし再出馬を要請された中村陸平は立たず、宮本甚七(前商工会議所会頭)・長延連(浜松中学第三回卒、元兵庫県知事)も固辞して受けず、結局政友倶楽部の支持する高柳覚太郎と、昭和会と清交会の推薦する鈴木幸作(貴族院議員)の決戦投票となり、その結果十六票対十四票で高柳覚太郎が昭和八年三月十九日七代目の市長と決定した。しかし市会は翌九年五月高柳市長の不信任案を議決、高柳市長もこれに対抗して県参事会にこれの取消を求め八月末に取消となったが、九月十七日に任期満了を待たず辞職した。病弱がその理由であった。高柳覚太郎(浜名郡北庄内村生、浜松元城町住、弁護士、衆議院議員当選四回、昭和十二年没、七十一歳)は犬養毅(木堂)に私淑して政治行動をともにした。市政の長老としてその威容自らそなわるものがあったという。なお昭和九年九月三日には市議会議員の改選が行なわれた。当選者三十六名、岩崎豊・井上剛一・鈴木幸作などがあった(市制七回目、昭和二回目)。