【横光吉規】後任市長は例のごとく各派の歩調が揃わず結局輸入ということになり、六か月のちに横光吉規(明治二十一年九月生、幸町住、東大卒、台湾総督府に勤務、昭和六年台南州知事、同年七月辞職、昭和四十年三月没、七十八歳)が昭和十年二月八日八代目市長に就任した。横光市政時代には、十一年の十一月市制二十五周年記念商工祭の開催、市営バスの運転開始、曳馬町・富塚村の編入(前述)などがあった。十二年七月に日中戦争が勃発し翌年には国家総動員法が公布され非常時が叫ばれるうちに、同年九月三日には市議会議員の選挙が行なわれた(市制八回目、昭和三回目)。三十六名が当選。井上剛一・岩崎豊・津倉亀作をはじめ社会民衆党の大野篁二(明治二十三年八月福井県鯖江生、キリスト教信者、昭和二十六年六月没、六十二歳)が当選した。横光は十四年二月再選されて九代目市長の職に当った。