市勢の急激な発展につれて、市の財政も著しく膨張した。【都市計画 水道】明治四十三年歳出十万円(経常費・臨時費合計)であったのが四十四年には十九万円(教育費の増大による)、大正三年二十万円(経常費八万円)は六年三十万円、七年三十八万円、八年六十三万円、十年九十万円(経常費四一万円)と急激に膨張し、昭和初期には一般会計は約百二十万円となり、別に都市計画事業費が昭和二年三十八万円、三年に五十万円、水道事業費が三年に三十二万円計上せられ、全財政規模は二年百六十万円、三年二百万円と激増した。これを大正二、三年に比べると十五年間で十倍の増加となった。【教育費 社会事業】その原因は各年度を通じ一般会計の半ばを占めた教育費と、水道敷設費及び都市計画費の増大とともに社会事業費などもその原因となっている。
【乗合自動車】昭和十一年には一般会計百五十四万円と、特別会計に都市計画費七十五万円、水道費二十三万円、十二年には特別会計に乗合自動車費十六万円が増し、さらに十四年からは特別会計に公益質屋費六千円が加わり、十五年には一般会計百九十二万円よりほかに特別会計(都市計画費・乗合自動車費・公益質屋費)約八十五万円となっている。市債も年々増してこの年には四百九十万円(一戸当り一四八円、一人当り二九円)と膨張している。
なお、十五年市税の市民一戸当りの負担額は四十五円、一人当り八円五十二銭(国税一戸三四二円、一人当り六五円、県税一戸三二円、一人当り六円)であった。