浜松の商工業と金融業

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 浜松の商工業の発達は浜松の銀行に負うところが大きかったが、その大きな理由の一つは浜松の企業経営者の多くが浜松の素封家でありまた銀行の重役であったためである、といわれている。また政党関係では政友会との結びつきが強かった、といわれている(『中山均 人と思いで』、中山均、明治十九年五月敷知郡三島村生、父は中山誠一、妻は金原明善の孫、静岡銀行頭取、昭和二十四年日本銀行政策委員、昭和四十一年十二月没、八十一歳)。