化学工業 写真フィルム 印画紙

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 ③化学工業 旭日写真工業株式会社が、旭日氷糖株式会社社長堀内勝治郎(明治十七年二月敷知郡篠原村馬郡生、浜松砂山町在住、市会議員、昭和十五年一月没、五十七歳)によって浅田町に設立されたのは大正十四年十月であった。写真乳剤を研究していた小島正治の要請をいれてSK社という研究所を開いたのが最初で、フィルムの試作に成功して会社を設立し、小島を技師長とした。翌十五年にはASK菊印A印画紙を製造発売、そののち昭和二年二月には国産初のブロマイド紙若葉、翌三年には国産初の写真フィルムを菊フィルムとして完成し販売を開始した。製産額フィルム・印画紙十八万百六十八円(昭和六年『産業と浜松』)であった。産額は少なかったが、全国的にみてもユニークな生産品で浜松人の積極性を物語るものであった。そしてそののちにできた他社の国産さくらフィルム・富士フィルムとともに、それまでの輸入フィルムに対抗して市場を拡大した。また同社はX線フィルムを国産として最初に完成したり、映画フィルムの製造も行なったが、十九年に戦争による企業整備令により解散した。
 以上の他に化学工業としては合資会社浜松石鹸製造所(当市寺島町)・日本ビスコース工業株式会社(当市中沢町、セロハン紙製造)などがあった。