[浜松木綿商人の台頭]

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 明治維新のさい浜松には政府の勧業政策による勧工場(所)(明治三年)・浜松産業所(同七年)・女紅場(同八年)が設置され織物を奨励したというが明らかでない。それより顕著なことは、今述べてきたような馬込川東岸地帯の工場組織化による綿工業勃興の動きに応じ、これに隣接する馬込川西岸の浜松宿において木綿商人の活動がようやく盛んになってきたことであった。