ついで導入されたのが足で踏木を踏むことによって杼(ひ)投げ筏(おさ)打ち等が同時に操作ができる足踏機で、これにより労働力は軽減し、生産量はさらに増大することになった。明治二十年頃発明された松田式足踏機が浜松地方へ導入されたのは明治二十六年に曳馬村高林の中村長太郎(山本又六『遠江織物史稿』)とも、または二十七年に市野村上石田の坪井与惣治が改良して専売特許をとり(専売の機織(はたご)とよばれた)伝えたのが最初といわれている(平松実談。『遠江積志村民俗誌』)。一日に二反ないし三反の生産が可能だったので三十七年前後にはその数七千台にのぼったという(『笠井郷土の俤』『遠江積志村民俗誌』)。