新しい商法

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 【販路開拓】ここに於て従来の買出的商法を改め、遠州のみならず販路を他県にひろめその拡張に全力を注ぐこととなった。すなわち遠州縞が太物を主とし比較的安価で堅牢な織物であるという特長を生かし、販路を寒冷で貧しい農村地域にもとめて進出することとなった。そこで浜松や笠井の商人たちはまだ鉄道未開通のこととて製品を自ら背負い或は馬の背に乗せて、山を越え川を渡り農家を一軒一軒とたずね、一反二反と販路を拡張して廻ったのであった。
 これを方面別にすると、
 
【関東】①関東方面 明治十二、三年頃試みたが成功せず、同二十年ごろ山下吉十等がはじめて成功(『笠井郷土の俤』)、後には加藤伊久蔵(笠井村)等他の人々も進出した。
 
【甲州】②甲州方面 明治十四年頃より。甲州人の加藤千之助が甲州の玉糸を遠州に、遠州縞を甲州に販売したのが最初。のちに浜松へ住居を定めた。
 
【信州】③信州方面 明治十八、九年頃より。栄楽屋(麁玉郡宮口村)、ついで植田喜平・鈴木初蔵(万棒といわれた。長上郡神立村出身)・平野太蔵・外山吉十郎(長上郡貴布祢村)等。
 
【東北】④東北方面 明治十八、九年より。植田喜平(白河方面)・加藤清七(福島・仙台・盛岡方面)・外山吉十郎(福島方面)・鈴木初蔵と木俣千代八(東北方面)。
 
【北海道】⑤北海道方面 明治十八年頃より。綿屋喜兵衛(長上郡安間村)・鈴木初蔵・加藤千之助。
 
【四国九州】⑥四国・九州方面 望月正作。