それのみでなく木俣千代八・外山吉十郎のような笠井商人の中からも浜松へ移るものも現われ、期せずして浜松には織布販売業者が集まることになった。その中心街は板屋町で、なかでも木俣千代八の木俣物産株式会社(浜松鍛冶、創立明治三十二年)、鈴木初蔵のマンボウ商店(浜松田、創立大正七年)、加藤千之助の甲州屋(浜松板屋、加藤商事株式会社、創立大正七年)、外山吉十郎と平野太蔵の外山商店(浜松板屋、外山商事株式会社、創立明治三十四年)、加藤伊久蔵・清七兄弟の丸加商店は遠州の五大問屋と呼ばれた。
遠州五大問屋