遠江織物同業組合

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 明治二十五年には西遠太物業組合(事務所浜松町伝馬)も笠井より交通の便のよい浜松に移すことになり、同業者も増加したので西遠太物の名称を改め翌二十六年には遠江織物組合と改称した。ついで明治三十四年四月には遠江織物同業組合(重要物産同業組合法による)と改組、設立当初の組合員数は千八十五名、地域は浜名郡(浜松町を含む)および磐田郡と引佐郡の一部で八十五町村にまたがっていた。明治三十五年には生産高百六十一万反余、機台数五千三百六十台を算した。初代組合長は中村忠七、つづく二代目の桑原為十郎(芳川村大橋出身、浜松菅原町在住、大橋屋という。大正十一年七月没、五十九歳)は十七年間その職に在った。同組合は織布販売業者・織布製造業者・染色業者の総合組合として大正から昭和へかけて遠州織物の全国的地位向上に果した役割は大きかった。

桑原為十郎