浜松機業家の進取の気象

414 ~ 414 / 729ページ
 そのころ浜松地方へ視察にきた越後の機業家たちは、遠州織物の安価なのは足踏機の使用のためと判明しこれを採用した。しかしそれでも遠州には及ばない。そのため再び視察にきてみると、浜松では力織機の全盛時代であったというエピソードが残っている。このころ濃尾地方の業者は遠州織物の進出に刺激され力織機の採否を論議したが、結局着色織物は柄で売るものであり、多種多様の柄をつくるには従前通りの出し機制度の千柄千反主義でいこうと定まった。これを聞いた遠州では、それならばこちらは力織機による一柄千反主義ということに定め、濃尾を圧倒したという(遠州製作株式会社『五十年史』)。