紡績業の勃興

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 遠州織物の生産高増加とともに綿糸の需要も増加してきた。【浜松紡績】最初は大阪・名古屋方面や本県富士瓦斯紡績(小山工場)の原糸にたよっていたが(左表「浜松駅における綿糸移入高推移」参照)、それでは不便なので地元にて綿糸の供給をという声が高まり、大正六年七月浜松紡績株式会社(社長山田藤次郎、副社長宮本甚七、専務加茂喜一郎、資本金一〇〇万円、当市伊場町)が設立された。【東洋紡績】翌七年十二月より紡機一万二百錘と織機二百台をもって紡績及び綿布製造の兼営工場として操業を開始したが、小規模工場のため生産高が少なく経営難に陥り、大正九年三月東洋紡績会社へ合併、同社の浜松工場となって綿糸の供給を行なうこととなった。
 
(表)浜松駅における綿糸移入高推移
年次移入高t
大正45,878
〃57,874
〃67,068
〃79,094
〃813,851
〃912,465
〃1023,927
〃1126,473
〃1223,631
〃1319,355


東洋紡績株式会社

 【日清紡績 富士紡績 浜名紡績】ついで大正十五年には日清紡績株式会社浜松工場(浜名郡北浜村貴布祢)、昭和に入って富士瓦斯紡績株式会社鷲津工場(昭和四年浜名郡鷲津町)・浜名紡績株式会社新居工場(昭和十一年浜名郡新居町、現在鐘紡浜松工場)が相次いで設立され、地元で原糸供給ができるようになった。