遠州織物の全国的進出

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 そののち大正十二年の大震災、十四年の大阪のデパートにおける遠州織物宣伝大会をはじめとして、関西・関東の各デパートなどにおける積極的な宣伝活動もあって、遠州織物の全国的進出を決定的なものとしたのであった。
 
(表)遠州地方および浜松における綿織物生産高の全国生産高に占める割合
年次遠州生産高 円浜松生産高 円全国生産高 円遠州の
割合
浜松の
割合
明治35710,201― 49,216,9631.4%― 
大正元5,982,657― 152,747,6943.9 ― 
37,235,991― 150,385,6544.8 ― 
510,482,473― 304,490,2653.4 ― 
619,637,5784,721,236396,233,8534.9 1.2%
729,261,0175,870,338624,216,4474.6 0.9 
855,565,98413,420,5001,033,831,7375.4 1.3 
939,992,2585,188,417693,550,0765.7 0.7 
1035,934,68513,204,156663,488,5105.4 1.9 
1135,302,6029,746,182639,028,9995.5 1.5 
1241,454,50417,048,298694,319,4695.9 2.5 
1339,940,90215,322,985745,828,1115.3 2.0 
1449,616,49017,898,859774,372,7916.4 2.3 

(『遠州織物発達史』,大正15年発行『浜松市史』,『浜松商工会議所五十年史』,昭和6年版『内外綿業年鑑』,『遠州産業文化史』)