(表)河輪村(明治44年)
戸数 | 力織機 | 手織 | 男 | 女 | |
工場 | 6 | 4 | 30 | 5 | 52 |
家内工場 | 3 | 0 | 15 | 3 | 15 |
賃機業 | 80 | 不明 | 不明 | 不明 | 不明 |
(表)天王村(明治44年)
戸数 | 力織機 | 手織 | 男 | 女 | |
工場 | 10 | 191 | 74 | 13 | 169 |
家内工場 | 3 | 13 | 10 | 3 | 23 |
賃機業 | 不明 | 不明 | 不明 | 不明 | 不明 |
(表)和田村(大正2年)
戸数 | 力織機 | 手織 | 男 | 女 | |
工場 | 5 | 106 | 0 | 14 | 23 |
家内工場 | 2 | 17 | 6 | 13 | 15 |
賃機業 | 3 | 不明 | 不明 | 1 | 10 |
【家族意識】大企業はさておき一般に織屋といえば、浜松地方独得の槙(まき)垣に囲まれた屋敷内の一隅に、鋸形の屋根を持つ黒ペンキ塗の小さな木造工場を有しているというのが一般的な形式で、経営法もさきに佐藤一色(現在当市佐藤町)でみてきたように一部落内の数軒の織屋は親戚・縁故同志という場合が多く、有無相通じ力を貸し合い互に助け合うという方法であった。【遠州式経営】いかにも遠州人らしい方式で、それなればこそ幾たびの危機にもよく対処し生きのび、浜松地方の先導工業として、この地方の工業地帯形成の力となってきたのであった。