こうしたうちにも昭和四年には工場法が改正され、従業員十人以下の小規模工場にも適用と定まり、深夜業も廃止されることとなった。当時遠江織物同業組合管内の全工場千六百五十四工場のうち十人以上の工場は百三十四工場に過ぎなかったが、改正ではほとんどの工場が適用となるので、小規模工場に対する圧迫であり生産高の減少にもつながるものとして反対が多かった。
【遠州輸出織物工業組合】また不況に対処するため、遠州輸出綿織物工業組合永久社(昭和四年十二月浜松市板屋町に移転、宮本甚七理事長)と遠江織物同業組合とは、昭和五年十一月に今まで両者で行なっていた製品検査のうち広巾は永久社に委ねて簡略化することとし、組合名も遠州輸出織物工業組合永久社と改称した。この間に永久社は不況下の中小機業の利益を守り共倒れを防ぐ目的で設立された日本輸出綿織物工業組合連合会(昭和三年設立、綿工連と略称)の誕生に大きな役目を演じている。