富塚村の例

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 ここで、浜名郡富塚村(昭和十一年浜松市に合併)の当時の状況をふりかえってみよう(昭和七年刊『富塚村誌』)。【離村 入村】郷土の人々の「離村」の原因は「主トシテ浜松市ニ最モ多ク、続イテ名古屋・東京・横浜ナドノ大都市ニ行ク者多ク、彼等ハ主トシテ職業関係ニヨリテ一稼ギセントスル者多ク」、いっぽう入村者は近隣町村からの者が多く、主として高台地域で農業に従事したが中には「飛行聯隊ヲ目当ニ」商売を営む者も少くなかったという状況であった(富塚村の人口移動表参照)。
 
(表)富塚村の人口移動 (昭和6年9月調査)
入寄者出寄者
合計前住地合計主な転出先
大正108412191332浜松・浜名郡曳馬村
〃11628131326〃・名古屋
〃12131023161834〃・愛知県
〃139615312455〃・浜名郡曳馬村・神奈川県
〃14336221840〃・愛知県
〃151919386356119〃・引佐郡三ヶ日町
昭和2231841424789〃・東京・横浜・名古屋
〃3181230534598〃・曳馬村・名古屋・神奈川県
〃4101919433881〃・東京・愛知県
〃51524394761108〃・東京・神奈川県・愛知県
〃61813316439103〃・愛知県・横浜