【キュウリ メロン】芳川村では大正六年に西尾良一・三輪仁平・柿沢寿義らによって初めて温室が建設され、キュウリ・メロンなどの蔬菜を栽培した。その主な動機としては、①過小農の農業経営改善②当時不振の養蚕繭価下落への対処③都市発達に伴う園芸農産物の需要増加などがあげられる。その後、第一次世界大戦による価格騰貴もあって温室栽培の有利性が知られるようになり温室経営者が増加した。大正八年には丸浜温室園芸組合、十二年には丸遠温室園芸組合が設立され流通面での円滑化をはかったので、芳川地方の温室園芸は発展をつづけた。大正末期から昭和初年の不景気時代にも、高級食品としての温室生産物への需要が多かったこと、近くの豊浜・袋井の温室園芸組合と組合の連合会を組織したり(昭和四年)、さらに三河の各温室園芸組合と連盟を結んで(昭和九年遠三温室園芸組合連盟)産物の統制販売・販路拡張に努めたことなどによって順調に発展した。戦前の最盛期といわれた昭和十五、六年における浜松地方の温室園芸の概況を示すと左表1・2の通りである(田中・村松『静岡県を中心にした温室園芸の沿革と現況』一九六二年静岡大学農学部農経資料第2号)。
(表)1.昭和15年度の温室概況
郡市別 | 棟数 | 栽培面積 | 栽培戸数 | 出荷 組合数 |
浜名郡 | 1,688 | 48,588 | 441 | 12 |
浜松市 | 97 | 2,507 | 33 | 3 |
合計 | 1,785 | 51,095 | 474 | 15 |
備考 1.栽培面積は県下全面積の45%をしめている
2.県下の温室作物の作付割合はメロン55%,キュウリ18%,トマト13%,花卉11%,その他3%となっており,蔬菜類中心の温室園芸で,東西の大都市を主販路とした
3.浜松市では白脇・曳馬・蒲の各地区がその中心地であった
4.全盛期に50,000坪を越えた栽培面積は太平洋戦争の大打撃をうけて7,000~8,000坪程度に激減した
(表)2.昭和16年度の芳川村と静岡県の温室概況
| 栽培戸数 (百分比) | 栽培面積坪 (百分比) | 1戸当り 栽培面積(坪) |
平均 | 最多 | 最少 |
芳川村 | 67(6.7%) | 10,354(9.6%) | 154.5 | 1,000 | 50 |
静岡県 | 1,007 | 107,465 | 106.7 | ― | ― |