自作小作別 地域別 旧市区 業態別

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 ここで、昭和十年代前半期の浜松市の農業経営について述べてみよう。自作小作別にみると、農家の大部分を占めるのが自作兼小作農であって、耕作地の六割ないし七割が自家の所有地である。若年者は商工業に転ずる者が多いが壮年者は都市農業者としての経営方針をもって農業に従事している。自作農、つまり純自作は極めて少いが、農業を中心として生活する者が多い。小作農についてみると、市街地に近い農家では商工業に従事するもの多く、市街地から遠くに住む小作農は農業を主業としている。次に地域別にみると、旧市区の農業地域では、畑作は蔬菜園芸を主とし、水田には湿田が多いが、次第に商工業地化・市街地化が進み農業としての発展は望まれない。【富塚】富塚地区では八割以上が純農家で、耕地面積は比較的に広いが酸性が強い土壌のため畑作物は小麦・大根・茶・ヘチマ等に限られ粗放的農業が多い。【曳馬】また曳馬地区をみると、市街地に近い地域では集約的農業が行なわれ、畑には市街地供給目的の蔬菜が栽培され、水田も乾田が多く二毛作が可能である。しかし、壮年者の大部分が商工業に従事し、老年者や婦人が農業に従事する傾向にある。【蒲】蒲地区では水田六割五分畑地三割五分となっており、土壌は良質である。水田は湿田が多く一戸当り一町内外を耕作し畜力の利用が盛である。畑地は蔬菜を主とし集約経営に進みつつあり、蔬菜の供給地としてその発展が見込まれる。壮年者は商工業に従事するものが多く、農業は老人・婦人の労力にたよる現状である。【白脇】白脇地区では、南部は水田・莞田を主とする粗放農業で、北部は畑を主とする蔬菜栽培の集約農業となっている。農業労働力は壮年者が商工業に走ることは他の地区と同じだが、それでも旧市区・曳馬地区に比するとめぐまれている。以上のほか、農業経営を業態別に考察することは、右の実例からも察知されるように、有意義であると同時に困難がある。
 
(表)代表的な業態別農業経営の実例(昭和14年当時浜松市)
製茶を
主と
するもの
蔬菜を
主と
するもの
麦作を
主と
するもの
温室を
主と
するもの
莞莚製造を
主と
するもの
家族
構成
農業者3人2人3人2人3人
農業手伝2人1人7人1人
臨時雇50人30人100人




(反)
水田6342
二毛作 8
8四毛作 5100.32
茶畑13
温室180坪
莞田7
27反13反13反4反3畝180坪11反




稲作米42俵米64俵米20俵
693円1,056円330円
48俵その他とも
312円1,610円
蔬菜3,000円

(生・製品)
3,750貫
2,250円
その他520円360円
3,775円4,416円1,940円3,114円3,100円
純収入1,800円3,350円1,700円1,850円2,600円

(昭和15年版『浜松の農業』)
差引利益金 8,344円93銭