県営馬込川改修工事は昭和十年着工され、ついで県営浜名用排水幹線改良事業が昭和十二年から十二か年継続事業として始められた。工事費合計二百七十六万円のうち、国庫補助百五十万円、県負担六十三万円地元負担六十三万円となっていたが、地元負担金の拠出をめぐって関係市町村の利害が分かれ、昭和十三年三月発足の浜名用排水組合に参加したのは浜松市外八か町村にすぎず、これでは事業遂行にさしつかえた。前述のように金原疏水財団設立の目的は天竜川の三方原分水貫流事業であったが、その後三方原台地は軍用地となり農耕地としての開発余地がなくなった。こうして昭和十三年九月に財団は金原治山治水財団と改称し、主目的を治山治水のための造林と浜名平野の灌漑排水事業の促進とに改め、後者の目的を達成するために浜名用排水事業及び馬込川改修事業に寄附を行う旨の規約改正を行なった。これに基づいて浜名用排水の地元負担金の全額(五四万円)と馬込川改修の地元負担金の全額(九万円)は財団がこれを寄附(負担)することに決定した(同年九月~十月)。このようないきさつのもとで同年十二月には浜松市ほか十六か町村(河輪・五島・芳川・飯田・和田・蒲・長上・積志・笠井・豊西・中ノ町・白脇-以上現浜松市、北浜・小野口・赤佐・麁玉―以上現浜北市)は浜名用排水組合を結成したが、直ちにその名称を金原用排水組合と改めた。
終りに、大正・昭和前期における浜松市の農業指導組織を図示しておく(昭和十五年版『浜松の農業』、前頁表参照)。
[図]
備考 1 部農会は各部落ごとに設けられ総計八十五。
例えば鴨江部農会・名残部農会・白羽西部農会
2 組合は産業組合・茶業組合・畜産組合・養蚕業組合・花卉生産組合・出荷組合など