検挙 米廉売札 市当局の救済運動

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 一方警察並びに司法当局は、群衆が冷静を取り戻した頃を見はからって、この夜の騒動の首謀者と同調者の検挙に乗り出した。このときあらかじめ群衆の中に混って監視していた私服警官は、主謀者とみられる者の衣服の背後から白墨やインクで印をつけ、これを目じるしに尾行してその住居を確認し検挙したといわれる(『警察今昔物語』)。その人数は浜松警察署だけでも六十人にものぼった。なお翌日も五社神社の境内には前夜来の騒動の余燼がくすぶり、大勢の群衆が集まったが大半は弥次馬で、一部に不穏の動きはあったものの、前日にかわる警備陣のものものしさに圧倒されたのか、前夜のような騒ぎは起らなかった。市内の米穀商はいずれも店頭に「米廉売」の貼札をして、騒動前に一升五十銭だった内地米を四十銭、外地米は二十銭に引き下げて売り出した。また市当局も翌日から米商組合との間に入って米廉売方の斡旋交渉に乗り出すとともに、市民有志から義捐金を募集して生活困窮者に交付したりした。こうして市当局の救済施策が軌道に乗り、その後もしばらく廉売が行なわれたので、民心も次第に落ち着き日ならずして元の浜松市に戻った(『浜松警察の百年』『静岡民友新聞』)。
 
年 月一升当り価格
大正7. 529銭1厘5毛
631 2 5 
739 2 5 
843 4 
(騒動当時)

(『浜松警察の百年』)
 
8月17日付
 浜松市細民救済のため
 納税額17等以下の者へ
 1升20銭で売渡,他の者40銭
9月2日付
 米10年前より21割高
 酒10年前より4.5割高
 日用品 約9割5分高

(『静岡民友新聞』)