労働運動

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 鉄道院浜松工場が開始したのは明治四十五年(大正元年)であったが、従業員には現地採用者よりも同院の他工場よりの転勤者が多かった。【平沢計七】その中に新橋工場の鍛冶職場の平沢計七(明治二十二年新潟生、大正十二年亀戸事件で刺殺される、三十五歳)があった。浜松の文学愛好の青年たちと接触があり労働文学演劇の運動をはじめたが、まもなく浜松を去った。しかし計七の来浜は浜松へ新しい時代の来るのが遠くないことを思わせるものがあり(『浜工労働運動史』)、浜松地方でも米騒動を契機としてようやく労働運動が起こるようになる(前頁表参照、日本共産党静岡県委員会編『不屈の歩み』による)。
 
77.28 日本楽器木工部50名 賃上要求スト
9.15 新居町新居汽船船員 賃上要求
89.12 浜松機関所機関手10余名 待遇改善要求スト
11.24 浜松駅運送組合仲仕100名 正月三か日公休要求
91.20 日本楽器ハモニカ部80名 賃上要求スト
8.6 浜松郵便局集配人75名 賃上要求スト
113.20 浜松鈴木織機50名 賃下反対スト
7.15 日本共産党創立
121.14 浜松日本形染150名 争議
136下旬 積志村王田機業会社18名 待遇改善要求スト
6.28 政治研究会創立(東京)
142 島津寿平 鈴木織機就職
3.19 治安維持法成立
4.25 評議会創立大会
9 鈴木織機に組合組織進む
浜松板屋町夏目宅にて同好会労働同盟懇談会
10.25 政治研究会浜松支部創立
12.28 日本楽器ハモニカ部160名 待遇改善スト
151 浜松合同労働組合創立