【評議会】ここでわが国の社会状勢に目を移すと、日本共産党(大正十一年結成、以下共産党という)はその組織下に政治研究会、無産青年同盟と称する推進機関を設け党勢の拡大にのり出し、労働農民党(大正十五年三月結成の左派の無産政党、以下労農党と記す)を指導下において政治方面―無産政党には右派に社会民衆党や日本農民党があり、中間派に日本学農党があった―に進出、また日本労働総同盟(大正元年創立の友愛会が大正十年に改称した協調的な労働組合)の左派の分裂によって創立された日本労働組合評議会(大正十四年五月結成、以下評議会と記す)をその傘下におさめ、評議会系の労働組合の組織運動を展開、その活躍ぶりはめざましいものがあった。
このような共産党の動きは、静岡県下ではまず県中部から東部の政治研究会・無産青年同盟の各支部の結成、各地における労働組合の組織となって現われ(日本共産党静岡県委員会編『不屈のあゆみ』参照)、ついで県の西部浜松地方へも浸透してくる。