【鉄道省浜松工場】鉄道省浜松工場をみると、大正の初期すでに従業員間に労働問題研究といった気配があったけれども、労働組合結成の気運が高まってくるのは大正十五年で、全日本鉄道従業員組合の結成(大正十五年二月)をみると直ちに浜松支部(東伊場町)を創立しその総会をライオン館(鴨江町、現在鴨江一丁目)で開催し、同年九月の最初の普通選挙の浜松市会議員選挙には山口直弼支部長(明治二十六年生、鴨江町、昭和十二年五月没、四十五歳)を当選させて大いに気勢をあけた。しかし同月臨時大会を開き工場長の不信任を決議するに及んで、工場側の態度も硬化し、全日本鉄道従業員組合全国大会で労農党支持の方針が定まると、浜松工場への波及をおそれた当局によって、指導者二名の馘首となった(大正十五年九月)。浜松における官営工場の最初の犠牲者であった。そして残った組合員には転勤・昇給遅延・脱退の強要などが行なわれ、評議会系の労働組合運動は当局のすばやい弾圧によって芽を出すにいたらなかった。なお組合が解散となるのは翌年(昭和二年)の四月であった(『浜工労働運動史』)。