ここにおいて、かねてから争議の経過を憂慮していた県の林田正治工場課長・浜松警察署長高野竹三郎は市内の有力者(日本楽器社長天野千代丸・日本形染社長宮本甚七・帝国製帽社長鈴木仁一郎)と協議し、社長鈴木道雄に対し調停を申し出ることになった。「会社側が屈服すれば一時の平和は得られるが、これは反って評議会の跋扈を許すことにもなりかねない」と主張し続けていた鈴木道雄社長も、県と警察側との「浜松の産業界の平和のためにも即刻に解決するよう」との強圧的な要望には抗しかね、調停を一任することを決した。そして二月二十三日の調停側・会社側・争議団側の三者の会談となり、調停側の熱心な勧告によって、解決の運びとなった。この結果、争議団側の島津寿平ほか四名は解雇となったが、争議団側の要求はほぼ容認され、最も主眼であり労働界の耳目を惹いていた労働組合加入の件は、双方ともこれに関する要求は撤回することとなった。これは争議団側にとっては組合加入黙認とも解されることであった。島津寿平は「今度の勝利は市内労働者諸君の応援の賜であり、工業都市としての浜松市に労働組合組織の気運を醸したことは甚大である」と語っている。しかし、じっさいに争議解決には収拾をいそいだ官憲の圧力によることが大きかったのは忘れてならないことであった。