こうして浜松地方が最初に経験した争議は終わったが、これは浜松労働界に与えた影響も大きかった。鈴木織機(東部支部)をはじめ飯田織機(中部支部)・東洋染色・中村氷糖・帝国製帽・日本楽器(北部支部)・遠州織機(西部支部)等、およそ十四の工場は浜松合同労組の勢力下となり、支部が設けられ、浜松合同労組の組合員二千名を算する大きな力となるにいたったのである(『浜松新聞』、鈴木自動車工業労働組合『二十五年史』)。そして、自力によってこの争議に勝利を得たという浜松合同労組の自負が、次に述べる日本楽器会社の争議を惹きおこすことになるのである。